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年表

東京の編集メディア——雑誌、新聞、同人誌、独立出版——は、明治の半ばから現在まで、いくつもの転換点を経てきました。震災、戦争、占領、高度経済成長、バブル、デジタル化、コロナ。それぞれの節目で、媒体のかたちと役割は、静かに、しかし確実に書き換えられてきました。

本年表は、東京を舞台に編集メディアの歴史を語るとき、編集部が「この一つは外せない」と考える十八の出来事をまとめたものです。網羅的な通史ではなく、Tokyo Velum の編集方針(現場主義、長く読まれる原稿)から見て参照価値が高いと思われる出来事を選んでいます。ご意見・修正提案は、お問い合わせフォームからお寄せください。

1874年

『明六雑誌』創刊

福沢諭吉、森有礼、西周、加藤弘之、中村正直ら、明六社の知識人による日本初の本格的な総合誌。文部省印書局から発行され、政治・教育・思想の議論を、初めて活字メディアで開いた。発行は短命(一八七五年に廃刊)だが、以降の総合雑誌の原型となった。

1887年

博文館創業——大衆雑誌の時代へ

大橋佐平が東京・本郷で創業。『日本大家論集』『太陽』『文藝倶楽部』『中央公論』(後に独立)など、明治後半から大正期にかけて多数の雑誌を発行。雑誌が「知識人の議論」から「中間層の読書」へ広がる転換点となった。

1910年

『白樺』創刊

武者小路実篤、志賀直哉、有島武郎、柳宗悦らが、学習院出身の同人グループとして創刊。文芸誌としてだけでなく、同時代の西洋美術(セザンヌ、ゴッホ、ロダン)を日本に紹介した。同人誌が文化運動の媒体になりうることを示した事例として、後の独立出版の系譜にも影響を残した。

1923年

関東大震災——出版インフラの壊滅と再建

九月一日の大震災で、神田・本郷・京橋など、東京の出版集積地が壊滅的な被害を受けた。多くの出版社が一時的に大阪・名古屋に拠点を移したが、震災後二年から三年で、現在の神保町を中心とした書籍出版街が再構築された。看板建築の様式も、この再建期に生まれている。

1923年

『文藝春秋』創刊

菊池寛が私財を投じて創刊した個人雑誌。「我等は一切のセクトに加せず」という編集方針で、文芸と社会評論を結びつけた。戦後の総合雑誌・週刊誌の母体となり、現在まで続く出版社・文藝春秋の出発点となった。

1937年

言論統制と出版警察

日中戦争の本格化に伴い、内務省警保局の出版警察による事前検閲・自主規制が強化された。総合雑誌『改造』『中央公論』が苦境に立たされ、一九四四年の横浜事件で多数の編集者・執筆者が検挙される。戦時下の編集者の選択は、戦後の媒体倫理に深い影響を残した。

1946年

戦後出版ブーム——カストリ雑誌から総合誌再開まで

占領下の用紙統制が緩和されはじめると、東京を中心に「カストリ雑誌」と呼ばれる低価格大衆誌が乱立。同時に『世界』『展望』『文藝春秋』『中央公論』など総合雑誌が次々と復刊・新刊された。雑誌が戦後民主主義の議論の場として再定義された時期。

1949年

岩波文庫の再編成

戦後の用紙不足のなかで、岩波書店が文庫レーベルの体系を組み直した。古典・現代思想・翻訳文学の「読み継がれる本」のラインを再定義し、大学・図書館・読書人の関係を再構築。書籍出版にも編集思想が問われる時代の指標になった。

1956年

『週刊新潮』創刊——出版社系週刊誌の登場

新潮社が、新聞社系(『週刊朝日』など)が独占していた週刊誌市場に、出版社として初めて参入。文芸出版社のノウハウを週刊誌に持ち込み、独自の取材文化を作った。以降、講談社・小学館・文藝春秋など、各出版社が次々と週刊誌を発行する流れを生んだ。

1964年

『平凡パンチ』創刊——若者向け雑誌の誕生

マガジンハウス(当時・平凡出版)が創刊。それまでの「家庭」「青年」を対象とした雑誌から、明確に「若者の趣味と都市生活」をターゲットにした初の総合若者誌。広告ビジネスのモデルとしても、戦後の雑誌出版の構造を変えた。

1970年

『an・an』『POPEYE』へ——ライフスタイル誌の登場

『an・an』(一九七〇年創刊、平凡出版)、『non-no』(一九七一年、集英社)、『POPEYE』(一九七六年、平凡出版)が相次いで発行され、洋服、食、旅、都市生活を編集の中心に据える「ライフスタイル誌」のジャンルが確立。海外の編集デザインと写真を積極的に取り入れた点で、その後のマガジンハウス系雑誌の方向を決めた。

1980年

『BRUTUS』創刊——男性向けカルチャー誌の編集モデル

マガジンハウス発行。特集主義(一号一テーマ)、編集デザインの自由度、海外取材の比重——以降の日本のカルチャー誌の編集モデルを規定した。一九九〇年代後半の『Casa BRUTUS』『&Premium』へと、編集の文法は連続している。

1995年

阪神・淡路大震災と神保町への影響

一月の大震災は関西の出版インフラに大きな打撃を与えた一方で、東京・神保町の古書店街が、関西から避難した出版関連の人材と物流を一時的に受け入れる役割を果たした。雑誌・書籍流通の冗長性が初めて問い直された出来事。

1999年

『Casa BRUTUS』創刊と「建築雑誌の一般化」

マガジンハウス発行。建築・デザインを「専門家のもの」から「一般読者の関心領域」へと開いた編集モデル。住宅・家具・都市計画を、ライフスタイル誌のフォーマットで扱うことの可能性を示し、後の住宅雑誌・建築書籍の市場を変えた。

2005年

雑誌売上のピークアウトとブログの登場

日本の雑誌販売額が一九九七年のピークから本格的に減少局面に入る。同時期、個人ブログとオンライン書評文化が拡大し、編集者・読者の関係が変容しはじめた。「編集」を職業ではなく実践として捉え直す議論が、出版業界内で広まった時期。

2012年

独立系出版の活発化——TRANSIT、& Premium、雑誌『たべるとくらしの研究所』など

大手出版社のラインアップとは別に、小規模な独立系編集チームによる雑誌・ムックが東京で次々と立ち上がる。紙の質感、編集デザイン、流通(個人書店、ZINE フェアなど)を再構築する動きが本格化。

2020年

COVID-19 と編集の再分散

新型コロナウイルス感染症の流行で、編集部のリモートワーク化、印刷工程の遅延、書店の営業制限が相次いだ。同時に、ニュースレターサービスを利用した個人編集者の活動が活発化し、「編集者一人」「読者数千人」というスケールで成立する媒体が一定数生まれた。

2024年

生成AIと編集倫理

大規模言語モデル(LLM)による文章生成・翻訳が実用化し、多くの編集現場で「AIが書いた原稿」「AIに学習されないための方針」をめぐる議論が始まる。媒体ごとに、AI学習データセットへの使用を明示的に禁止する利用規約の改定が進んでいる。Tokyo Velum も、本誌の利用規約に当該条項を含めている。

以上、十八の出来事を選びました。網羅的な通史ではないため、抜けている重要な出来事も多々あります。読者からのご指摘・追加提案を、随時お待ちしています。

編集メディアの歴史は、「何を載せたか」だけでなく、「誰が、どんな技術と組織で、どう載せたか」という側面で進んできました。これからの十年、AI、ニュースレター、独立出版、紙への回帰——複数の流れが並走するなかで、「東京」という地理的・文化的な単位で編集を続ける意味も、また書き換えられていくはずです。

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