TL;DR
- 大田区南馬込の小さな町工場が、業務用ハサミと包丁の研磨だけで五十年続いてきた。受注の半分は中華料理店の包丁、残りは美容師のハサミと縫製工場の裁ち鋏だ。
- 大田区の工業統計を見ると、町工場の事業所数は長期に減少しているが、研磨・表面処理という工程に絞ると、依然として一定の集積が残っている。
- 研磨は「機械化しきれない仕上げの仕事」として、隣接する大きな製造業者とサプライチェーンで繋がっている。一台の機械の前で、加減を覚える時間が必要だ。
- 後継者問題は確かにあるが、それを「伝統の終わり」と呼ぶのは早い。続けるための工夫は、まだ複数の方向に開いている。
南馬込の住宅街を抜けて、二車線の道路から細い坂を下ると、突然、機械油の匂いが鼻に届く。午前十時、三角屋根のトタン工場の引き戸が開いていて、なかから水のしぶきが薄く漂っている。研磨機の白い砥石が回転し、刃物を当てるたびに、しゃっ、しゃっ、と短い音が出る。M工房の三代目、Sさんが、ハサミを一丁ずつ確認しながら砥石に当てていた。
工房の壁には、研磨待ちの刃物が用途別に分けられて掛かっている。中華包丁、美容師の鋏、洋裁の裁ち鋏、業務用のミートカッター、医療用のメス。それぞれが袋に入れられ、店名と日付の手書きラベルが貼られている。
大田区の町工場——数の話から始める
大田区の工業統計は、長期に町工場の減少を映してきた。大田区産業経済部が公開する産業統計でも、事業所数は一九九〇年代から段階的に縮小している。理由は世代交代、地代上昇、住宅地化だ。看板建築の取材と同じく、相続のタイミングで土地が住宅やマンションに切り替わる、という流れが続いてきた。
もっとも、工程別に分けて見ると、減少のスピードは均一でない。プレス加工や切削加工が大きく減ったのに対し、研磨・表面処理・熱処理という「最終仕上げ」の領域は、相対的に持ちこたえてきた。理由は単純で、これらの工程は、機械の自動化が進んだ後にも「人の手の加減」が残る部分が多いからだ。Sさんはこう説明する。
同じ砥石でも、鋼の硬さ、刃の角度、使い手の癖で、当て方を変えないといけない。ハサミなら、刃と刃の合わせを確認しながら、片方だけ余計に削ったりする。これは、いまの汎用機械では再現しにくい。
サプライチェーンのなかの一台
意外だったのは、Sさんの工房が独立した一店ではなく、近隣の中規模製造業者や、業務用刃物の卸との取引関係のなかで成立していたことだった。うちで研ぐ刃物の七割は、自分のところに直接来るんじゃなくて、別の業者を経由して入ってきます。修理に出た製品の、最後の仕上げを請ける、というのが古くからの形です。
経済産業省の中小企業白書を読み返すと、こうした工程ごとの分業構造は、戦後の関東一帯の製造業の特徴として繰り返し言及されている。一つの製品が完成するまでに、いくつもの町工場を経由する。Sさんの工房は、そのチェーンの「研磨」のところに位置している。
機械、水、湿度——三つの変数
研磨は、想像していたよりも繊細な仕事だった。砥石の回転速度、刃物を当てる角度、注ぐ水の量。これらが三つの変数として組み合わさり、季節によっても変動する。夏場は湿度が高くて、砥石の目詰まりが早く出る。冬は逆に乾きすぎて、研いだ刃が酸化しやすい。同じ作業でも、毎日少しずつ条件を変えています。
工房の隅には、二代目から受け継いだ古い機械が一台、いまも稼働している。Sさんは新しい機械も導入したが、旧機械を残している理由をこう説明した。新しい機械は、再現性が高くて、誰が使ってもある水準まで研げる。古い機械は、加減を覚えるのに時間がかかるけど、最後の数ミクロンの仕上がりが違う。両方を持っていることで、用途によって使い分けができる。
後継者と「終わり」の語り方
後継者問題について尋ねると、Sさんはためらいなく頷いた。息子は、別の仕事をしています。それを継げと言うつもりはなかった。けれど、辞める準備をしているわけでもないんです。
続けるための工夫は、いくつか動いている。第一に、近隣の工業高校・専門学校の生徒を、年に数日、研修として受け入れる仕組み。第二に、業務用刃物の卸を通じて、若手の研磨技術者を共同で育てる動き。第三に、Sさん自身が、研磨の手順を映像で記録しはじめたこと。後継者がいなくても、技術の記録が残っていれば、二十年後に誰かが復元できるかもしれない。それで十分、という考え方もありますよね。
裏を返せば、「跡を継ぐ」という単線的なモデルだけで職人の世界を見ると、ほとんどが「終わり」に見える。けれど、技術の継承は、息子・娘が引き継ぐかどうかとは別の次元で、複数のかたちで起きうる。京都と輪島の漆と糸の取材でも、同じ構造に行き当たった。
研いだ刃物が、どこへ戻るか
取材を終えた頃、午後の集荷の業者が到着した。Sさんが研磨を終えた刃物が、種類ごとに袋に分けられ、軽トラックに積まれていく。これらは、二日後にはおそらく中華料理店の厨房や、美容院の椅子の脇のトレイに並ぶ。研磨という作業は、一見、地味な仕上げの工程に見えるが、それが整っていないと、現場の刃物は使い物にならない。
大田区の町工場は、これからもおそらく数を減らし続けるだろう。けれど、研磨という工程が消えるかどうかは、別の問題だ。集積の規模が変わっても、技術の更新の仕方を変えれば、まだ残せる余地はある。Sさんの工房の引き戸は、しばらく開いたままだ。なかから、しゃっ、しゃっ、と短い音が、いまも聞こえている。
参考資料
- 大田区産業経済部「大田区産業のあらまし」関連資料
- 経済産業省「中小企業白書」
- 東京都産業労働局「ものづくり産業の実態調査」
- 関満博『現場主義の人材育成』(ちくま新書)

