文学と思考

神保町、火事のあとの書店

読了 6 分

TL;DR

  • 二〇二三年の小規模な火災から二年、神保町の一画にある古書店を再訪した。建物は半分焼けたが、店は同じ場所で営業を続けている。
  • 古書店街の店主たちが共有してきた防火・搬出のマニュアルが、思っていたより緻密に機能した。書物を救うのは消防車だけではない。
  • 東京都の古書籍商業協同組合の資料を読むと、戦後から現在まで、神保町は数度の小規模火災を経験してきた。「燃えやすい街区」と「燃えにくい職能の集積」の二つが、同じ街に同居している。
  • 火事のあとに残ったものは、本だけではない。仕事の手順、隣家との関係、街路に対する責任感が、火事という出来事を通して可視化される。

午後二時。すずらん通りから一本入った路地に立つ古書店の戸を開けると、新しい木の匂いがした。火災から二年が経った今年の三月、この店——仮にA書店としておく——は、半分焼けた建物の一階部分を改装して、ふたたび開店している。二階の住居部分はまだ仮復旧で、壁の一部にベニヤ板が見える。店主のSさんは、私が前回(火災後すぐ)来たときと同じ位置に立って、文庫の棚を整理していた。

意外と早く戻れた、と思いますか。と私が問うと、Sさんはわずかに首を傾げた。逆ですよ。二年は長い。けれど、本を全部失わなかったから、戻ってこられた、というのが正確かな。

火災の夜、何が運び出されたか

火災が出たのは、深夜一時すぎ。発生源はA書店ではなく、二軒隣の飲食店の厨房だった。風向きと建物の構造で、A書店の二階と屋根裏に炎が回った。一階の店舗部分は、消火活動の水損で大きな被害を受けたものの、火は届かなかった。

このときに動いたのが、神保町の古書店同士で共有されてきた、いわゆる「搬出マニュアル」だった。同じ通りの店主が、火事の連絡を受けてすぐに自転車や軽トラックで集まってくれた。店の鍵を渡して、何を、どの順番で、どこに運ぶか、ある程度決まっていた。たとえば、店の奥の二重扉のなかにある明治期の和装本は、最初に運び出す。値段の問題じゃなくて、二度と入らないからです。

東京都古書籍商業協同組合の発行物には、火災時の搬出手順についての記述がある。同組合のサイトでは一般向けに公開された資料も多く、戦後の数度の火災で更新されてきた「店主同士の連絡網」の存在が確認できる。

なぜ古書店街は何度も火事を経験してきたか

神保町の街区は、戦後の早い時期にできあがった木造店舗が現在も多く残っている。看板建築の記事で触れたように、低層密集市街地の更新は容易ではない。古書店は、本が高密度に詰まっているうえ、紙という燃えやすい素材を扱う。東京消防庁の火災統計でも、書店・古書店区分は、出火源としてではなく「延焼経路」として注目されてきた。

もっとも、Sさんは別の見方を示した。古書店は、火に弱い場所ではありますが、火を出さない場所でもあるんですよ。火を使う道具がない。コンロも、暖房もガス管も限定的で、店主は本以外のリスクに敏感です。火事は、たいてい外から来る。だから、外から来た火にどう対応するか、というかたちで知恵が積まれてきた。

戻ってきた本、戻らなかった本

救えた本もあれば、救えなかった本もある。Sさんが指差したのは、二階の窓に近かった棚にあった、戦後の初版文芸書の一群だ。あれは半分は水損、半分は煙の臭いが取れずに、結局廃棄しました。買い直そうと思っても、同じ状態のものは市場に出ない。古書というのは、一冊ごとの履歴が値段に含まれている商品なので、買い直したつもりが、ぜんぜん別の本になる。

もう一方で、思いがけず助かった本もあった。店の奥の小さな金庫のなかに、私の祖父が買って二十年棚に出さずに眠らせていた明治の地誌の和装本がいくつかあった。あれは、金庫が完全密閉で、煙も水も入らなかった。火事のあとに整理して、初めて存在を確認できたんです。

「燃えやすい街区」と「燃えにくい職能」

取材を通して見えてきたのは、神保町の二重性だった。物理的には、燃えやすい木造低層の街区。そのうえに、書物を扱う仕事の手順と、隣家との関係性が、火災に対する「燃えにくい構造」として乗っている。後者は、組合の資料や個人のメモにしか残らない、知識の積層だ。

裏を返せば、こうした知識の積層は、店主の世代交代とともに途切れる可能性がある。実際、組合の資料を読むと、若い世代の店主向けに「火災時対応の手順」を改めて文書化する作業が、二〇一〇年代から進められてきたことが分かる。口伝で十分だった時代から、文書化が必要な時代へ、ゆっくりと移行している。

火事のあとに、何が残るか

Sさんに、最後に一つ質問をした。火事のあと、店を続けるという判断はすぐにつきましたか。Sさんはしばらく考えてから答えた。

すぐにではなかった。最初の一週間は、もう辞めようかと思った。でも、組合の人や、二十年来のお客さんが、店の前まで来てくれて、何も言わずに帰っていく。あれが効きました。何かを言われたら、たぶん意地で続けると断っていたと思う。何も言われなかったから、考えるしかなかった。

古書店という商売は、本を売る仕事であると同時に、本を「次の誰か」へ渡す仕事だ。火事のあとに残ったのは、半分焼けた建物と、棚の本だけではない。神保町という街区そのものが、本を渡し続けるための仕組みとして、しぶとく機能してきた、ということが、火事という出来事を通して、はっきり見えた。

これからもこの街区は、たぶんまた火事を経験するだろう。建物の更新は遅く、消防設備も限られる。けれど、その街区が依然として古書店街であり続けるかぎり、ぼくらは何度でも、店主たちのマニュアルと隣家との関係を更新しながら、本を運び出す側にも回れる。

参考資料

  • 東京都古書籍商業協同組合「組合史」関連資料
  • 東京消防庁「火災統計」
  • 千代田区「神田神保町地区まちづくり方針」
  • 橋口侯之介『和本入門』(平凡社)

東京ヴェルム 編集部

都市と暮らし、文学と工芸を綴る東京の編集誌 運営は 東京ヴェルムメディア株式会社。 ご意見・ご感想は info@tokyovelum.com までお寄せください。

編集部からのお便り

月に一度、編集部からの覚書をお届けします。配信解除はいつでも可能です。