建築と街

神田川沿いの再開発で消えた小さな看板建築

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TL;DR

  • 神田川沿いに残る小規模な看板建築が、十年単位で確実に消えている。背景にあるのは相続、耐震基準、そして容積率の経済合理性だ。
  • 看板建築は関東大震災後に生まれた住居兼店舗の独自様式で、表面はモダンな洋風、裏は伝統的な木造という二面性を持つ。
  • 国土交通省の都市再生政策は「歴史的建造物の保存」を掲げる一方、小規模な民間建築には制度の網がほとんど届かない。
  • 残るのは「街並み」ではなく、博物館的に保存された一点になる。街を読むための語彙が一つずつ抜けていく。

午前六時。神田川の水面はまだ青黒く、対岸の信号機の赤だけが鮮明に映っている。御茶ノ水駅の高架下から佐久間町方向へ歩くと、シャッターを開ける音が、かしゃん、と一つだけ聞こえた。八十代らしい男性が黙って暖簾を出している。看板には「指物・建具」とある。建物は三階建てで、表面はモルタル塗りに細い縦溝が刻まれ、軒先に小さな唐草風の装飾が残っている。裏に回ると、外壁の継ぎ目から細く立ち上がる木の骨組みが見える。これが看板建築だ。

同じ通りを十年ほど前にも歩いた記憶がある。当時、似た構えの店が三軒は並んでいた。いまは一軒。残りの場所には、四階建てのRC造の小さなビルが建ち、一階はコインパーキングになっている。

震災のあとに生まれた、二面性の建築

看板建築という言葉は、建築史家の藤森照信が一九七〇年代に整理した呼び名だ。関東大震災後、木造の二階建てに防火を意識したモルタルや銅板を貼り、表面だけを洋風に装飾した住居兼店舗。裏は伝統的な木造軸組のままで、職人が一人ですべてを描いた表情を持つ。神保町、神田、本郷、谷中——東京の旧市街には、いまもまばらにこの様式が残っている。

建設の動機は単純で、震災で失われた商家を「火事に強く、見た目に新しく、しかし住み続けられる」かたちで建て直すことだった。当時の写真資料は国立国会図書館デジタルコレクションでも閲覧でき、震災復興期の街並みが「規模の小さなモダニズム」と呼ばれた背景を辿ることができる。

もっとも、いま残る看板建築の多くは、登録有形文化財などの制度の外にある。多くは「ふつうの民家」として、相続のたびに次の世代へ問いを残してきた。

相続、耐震、容積率——三つの圧力

消滅の理由は感傷ではなく、ほぼ経済的なものだ。第一に相続。三代目に当たる人物が継ぐ頃には、店業はすでに細っていることが多い。建物自体の修繕費が年に数十万円から百万円単位で発生する一方、テナントとして貸すには間取りが現代的でない。第二に耐震。一九八一年以前の旧耐震基準の建物が大半で、改修費は新築に近いケースもある。

第三が容積率だ。神田・佐久間町・神保町などの商業地域では、現行の容積率を使い切れば、四階・五階のビルが建てられる。古い二階建てのままでは、土地の経済価値を「使い切っていない」状態が続く。国土交通省の都市再生関連の資料でも、密集市街地の更新を促す方向性が一貫して示されてきた。

千代田区の景観計画は「歴史的な街並みの保全」を掲げているが、対象になるのは「重点地区」や「景観形成路線」に指定された範囲で、神田川沿いの大半はその外にある。建築と街のカテゴリーで以前にも触れたが、制度が個別の建物ではなく「面」を守る前提で組まれている以上、点として残る建築は守りにくい構造になっている。

残るとはどういうことか

取材の途中で、ある工務店の人物が静かに言った。うちが直しているうちはいいけど、次の代が決断したら、たぶん残らない。感傷の言葉ではなく、見通しの言葉だった。

裏を返せば、いま残っている看板建築は、誰かが毎月のように決断を更新している結果として残っている、ということになる。屋根の樋を直すか。壁の銅板の腐食を放置するか。固定資産税の減免を申請するか。一つひとつの決断が、街の一角を成立させている。

一方で、保存運動の側にも限界がある。一棟だけを文化財として残しても、隣にビルが建てば、看板建築が支えていた「街並みの語彙」は機能しない。看板建築は、隣り合う建物との比率、軒の高さ、看板の取り付け位置という関係性のなかで意味を持つ。単独で立つときには、骨董の一点でしかない。

失われるのは「街を読む語彙」

朝のひと回りを終えて、神保町の方角へ歩く。神保町の古書店街でも同じ問題は別のかたちで進行している。看板建築が一棟消えるごとに、その通りの読み方が一つ抜ける。一階の店構え、二階の住居、三階の物置、その上の鳩小屋——という、用途の積み重ねが街路の高さを決めていた約束ごとが、見えなくなっていく。

東京の街並みは、保存と更新のあいだで揺れ続けてきた。震災・戦災・バブル期・耐震改修と、節目ごとに大きな入れ替えが起きた。看板建築は、そのうちの「震災後」を物理的に語る数少ない物証だ。これが消えるということは、語彙そのものが消えるということで、もう一度同じものを再現することは原理的に難しい。残っているうちに、誰がどう住んでいるのか、何が修繕されているのか、地味な記録を更新し続けることぐらいしか、いまできることはないのかもしれない。

参考資料

  • 藤森照信『看板建築』(三省堂、関連論考多数)
  • 国土交通省「都市再生・密集市街地対策」関連資料
  • 千代田区「景観まちづくり計画」
  • 国立国会図書館デジタルコレクション「震災復興建築写真資料」

東京ヴェルム 編集部

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